お知らせブログ
地元小学校の先生方をお迎えして
2025/09/07
見学に先立って、「先生方が子どもさんたちに『なめす』という言葉を説明するとした場合、どういう風に説明されますか?」と質問させてもらったところ、年配の先生から、「死んだら腐ってしまうのが当たり前の動物の皮に、もう一度命を与えて、いつまでも生きている時と同じような皮(革)に変えてやること」という回答を頂きました。何と詩的で格調高い言葉で「なめす」ということの意味を子どもたちに教えてくださっているのだろうと、感銘を受けずにはいられませんでした。
しかしながら同時に、文学的には素晴らしい説明だとした上で、科学的に考えてみた場合、そのように教えることは果たして正しいことなのだろうかという疑問が自分の中に芽生えてきて、私は思わず先生方の目の前で「うーん」と考え込んでしまいました。恥ずかしい姿をお見せしてしまったことを、大変申し訳なく思っています。
それというのもまずひとつに、生きている時の動物の皮と、死んでからそれをなめした革とでは、その状態がだいぶ違うのです。生きている時の動物の皮は、言うなればゴムのような質感を持っていますが、なめした後の革は、スポンジのような質感に変わっています。「なめす」ということを「動物の皮を生きている時と変わらない状態に保つための技術」であると考えてしまうと間違いで、むしろ「動物の皮を素材に、革という人間の使用に適した全く別の物質を作り出すための技術」であると考えた方が、正確なのではないかと思いました。
けれどもそれにもまして私を考え込ませてしまったのは、「皮に命を与える」という美しい表現は、果たして自分たちのやっている仕事にふさわしいものなのだろうか、ということでした。「なめす」という作業はむしろ「皮から完全に命を抜きとる行為」なのではないかという気持ちが、その仕事をしている人間の実感としては、あったからです。
皮が腐るという現象は、もちろんその持ち主(?)の動物の生命活動が停止したところから開始されるわけですが、それを腐らせる微生物の立場に立ってみれば、皮を腐らせるというその作業(?)自体もまた、重要な生命活動の一環に他なりません。地球と申しましょうか、宇宙と申しましょうか、大自然の営みそれ自体をひとつの生命活動と捉えるならば、生き物の身体はみな死んでからもなお、「腐る」ということを通して、その生命活動に参加し続けているのだと言うことができると思います。「なめす」という行為は、言うならば動物の皮をその生命の営みから引きはがし、時間が止まったような状態を無理やりに作り出すことで、その姿かたちを変わらないまま引き止めようと試みる人間の「あがき」に他ならないのではないか。そんな風に感じられることが、私にはあります。
そしてそうやって作り出された革という物質もまた、決して永遠の存在ではありえません。商売上は「半永久的に変わらない品質」という言葉を使わせてもらっておりますし、その表現に決してウソはないのですが、人間が手入れし続けることをやめてしまえば、どんなに上手に鞣された革であっても、いつかは風化してその姿を失ってしまいます。
考えてみれば、人間というのは有史以来、そんな試みばかりを繰り返してきた生き物だったと言うことができるかもしれません。自らが有限な存在であることを嫌と言うほど知っている人間たちは、何とかして時の流れを止め、自分たちの生きた証を永遠にとどめておきたいと、様々な努力を重ねてきました。その痕跡が、私たちの暮らす奈良県という土地には、長い歴史を持っている分とりわけ目につく形で、数多く残されています。とはいえそれは飽くまで痕跡でしかなく、そこに残されているのは「永遠」を作り出そうとした人間の試みの残骸であるに過ぎないのだということが、言えるのかもしれません。
法隆寺や東大寺など、それを残そうとする人間の営みが守られ続けてきた場所では、「永遠」を作り出そうとした昔の人々の努力のかたちが、今でも比較的よくその姿をとどめています。けれどもその営みが途絶えてしまったところでは、木造の建築物はもとより、どんなに立派に造られた石碑であれ磨崖仏であれ、日に日に風化してゆくことを免れることはできません。100年ほど前に奈良を訪れたとある詩人は、春日山の山奥で苔に埋もれていた石仏群に触れて、「かれらはみな土に還りたがっている」という感想を残しました。かつては日本のどこよりも進んだ文化と文明を誇っていたこの地において、「永遠」を形に残そうとした昔の人々の思いとは裏腹に、今の人々が奈良に対して感じるのは、「新しさ」ではなく「古さ」に他ならないわけなのです。
けれどもその一方で、忘れ去られたかつての寺院や宮殿の礎石を包み込んでいる木々や草花の緑は、変わらない鮮やかさを保っています。おそらくその内側では長い年月の間に数え切れないほどの世代交代が繰り返されているはずであるにも関わらず、全体としては飛鳥時代や奈良時代と変わらないような緑の風景が、そこには広がり続けているのです。「永遠」というものは、時間の流れを止めてしまおうとするような人間の虚しい試みの先にではなく、むしろ時間の流れそのものの中に、何度となく生まれ変わりと死に変わりを繰り返しながら変わらぬ姿を保ち続けている大自然の営みの中にこそ、横たわっているものなのではないだろうか。奈良県の一角で育った私は、ずっとそんな風に感じてきました。
それならばそうした自然の営みと人間の営みとのせめぎあいの中で、動物の皮を「なめす」という自分の仕事は、どのように位置づけられるべきなのか。つまるところそれは、自然の一部としてある人間が、その制約を受けつつも「人間らしく」生きるために、生み出され引き継がれてきた仕事であると考えるべきなのだろうな、と私は受け止めています。「人間らしく生きる」とは、どういうことなのか。もとよりその問いに、普遍的な答えは存在しません。今この瞬間を生きている個々の人間の感性の中に、それぞれの形で存在しているだけです。けれども個々の人間の感性というものは、紛れもなくその人を人間としてこの世界に送り出すために積み重ねられてきた、無数の先人たちの歴史の営みの上に形成されたものに他なりません。そして人間が自分のことを「人間である」と意識するきっかけとなった最初の出来事、人間が「人間らしく生きたい」という欲求を知って、「人間の歴史」を始めるに至ったその原点に位置する出来事は、人間が「服を着て生きること」を覚えたこと、すなわち他の動物の皮を加工して自分の身にまとう技術を獲得したその時のことだったに違いないと、私は思っているのです。
…工場見学に来てくださった先生方の前で、しばし言葉に詰まって考え込んでしまった時に、私の頭の中をぐるぐる回っていたのは、ざっと以上のようなことでした。そしていったんこんな風に自問自答が走り出すと、動物の皮をなめすということは一体どういうことなのかという最初の設問からも、いつしか遠く離れたところに行ってしまい、自分自身でも何をどう言えばいいかが分からなくなってしまうのでした。私という人間には、そういうところがあります。まったくもって、恥ずかしい限りだと思っております。
こうした形でそのとき自分の頭をよぎった内容を改めて整理してみるに、自分たちのやっている仕事が「皮に命を与える仕事」だなどという大それた言い方は、やはりふさわしくないのではないかというのが、現時点における私の正直な気持ちです。それならば自分なら子どもたちに「なめす」という言葉をどう説明するかということを改めて問われたならば、「人間が人間らしく生きて行くために、他の動物の命をしばらくの間だけ貸してもらって、その皮を人間に使いやすいように作り替えさせてもらうこと」ということになるでしょうか。
…科学性はどこに行ってしまったのだ、という感じがして、自分でも全然いい答えには思えないのですが、普段だと忙しさにかまけてなかなかじっくり考えることのできないこうした根本的なことを、改めて考え直すきっかけを作ってくださった先生方には、心から感謝しています。今度来てくださった時にはもう少しマシな説明ができるように心がけていきたいと思っていますので、これからもこの地に育つ子どもたちが自分たちの故郷を誇りに思うことのできるきっかけを作り出すことができるよう、末永くお付き合いいただけましたら幸いです。

☆ 画像は、地元の宇太水分神社で毎年開かれている盆踊り大会の情景です。
代表はこの地域に伝わる「祭文音頭」の保存会に加入しておりまして、
祭りの時には櫓の上で歌わせてもらっております。