鹿革専門 なめし加工・染色加工
株式会社丸新産業

メニュー

鹿革のできるまで

工場見学に来てくれた地元の小学生のみなさんとのやりとりを元にして、鹿革ができるまでをまとめてみました。読み物として楽しんでいただければ幸いです。

1.皮を革にする仕事

みなさん、今日はようこそ丸新産業にお越しくださいました。代表の辻本と申します。僕のことは、鹿のおっちゃんと呼んでください。
鹿のおっちゃーん!
はーい。それでは、この工場でどんなことをやっているかを説明していきましょう。この工場では鹿皮をなめす仕事をしているんですけど、みなさん、「なめす」って言葉は、多分あんまり聞いたことがありませんよね。
えー?聞いたことあるでー!

うちのお父さんも、なめすのが仕事やて言うてたでー!
あ、そう?それはごめんなさい。おっちゃん、みんなのこと、なめてたね。じゃあ、なめすっていうのは、どういうことか、わかる?
動物の皮を、使えるようにすること?
そう!使えるようにすること。これが、なめす前の鹿皮なんですけど、こんなん、使うどころか、触るのもちょっと勇気がいると思うよね。
おれ勇気あるでー!
おお、すごいな。でも、触らんでええからね。塩とか脂とかいっぱいついてるから、手がネチャネチャになるよ。そんでもって、これがなめした後の鹿革です。
白いー!

薄いー!

えー?毛ぇはどこ行ったん?
全然違うやろ。こっちの鹿皮をこっちの鹿革に変えるのが、なめすっていうことなんです。口で言うたらどっちも同んなじ「しかがわ」やねんけどね。なめす前のカワは、漢字で書いたら「皮」と書きます。なめした後のカワは、漢字で書いたら「革」と書きます。皮を革にすることが、おっちゃんらの仕事なんです。

2.奈良公園の鹿とニュージーランドの鹿

さてこの鹿皮なんですけど、この皮はニュージーランドという国の鹿の皮です。
えー?何でニュージーランド?

ラグビー強いとこやろ?
おお、めちゃめちゃよぉ知ってるな。みなさんが「何で?」と思うのも、もっともです。鹿なんかその辺の山にもいてるし、奈良公園にもおるのに、何でニュージーランドの鹿なのか。まあ、奈良公園の鹿は天然記念物やから、もともと捕ったらあかんねんけどね。昔はあの鹿は春日大社の神さんのお使いやからて言うて、間違って殺したりでもしたら、子どもでも死刑にされちゃったらしいですよ。
えー!?
むかし三作って名前の子どもが習字の練習をしてたら、鹿が寄ってきて半紙を食べて行きよってんて。そんで「こら!」言うて文鎮投げたら、鹿の頭に当たって、鹿、死んでしもたんやて。そしたら役人が来て、三作は鹿と一緒にぐるぐる巻きにされて、穴の中に生き埋めにされて、殺されてしまったという話が伝わっています。今でも奈良公園にある菊水楼っていう結婚式場の横に、三作くんのお墓が残ってるわ。なんぼ神さんのお使いやから言うたかて、神さんは人間よりエラいから人間は殺されても文句言われへんのかて言うたら、おっちゃんはそんな風には思わへんねんけどね。何しか、鹿といえば奈良やとみんな思ってるし、鹿革の生産量が日本一なのも奈良県やねんけど、菟田野の鹿革と奈良公園の鹿には、直接の関係はないんです。
そうなんやー
そうなんです。そんで、奈良公園におる鹿は、ニホンジカ。ここの近所の山にいてる鹿も、ニホンジカです。ここらへんの工場では、害獣駆除で捕まったニホンジカの皮のなめしを引き受けてはるところもあるんですけど、ニホンジカの革は薄くて破けやすいんですね。おっちゃんらの工場では武道具の材料を作ってるから、ニホンジカの革はあんまり向いてないんです。これは、昔からそうやったらしい。菟田野の鹿革づくりの歴史は、たぶん室町時代ぐらいに武器や鎧を作ってた頃にまでさかのぼるんやけど、その頃から日本の鹿の革では弱すぎるからっていうんで、防具を作るのには外国の鹿革を取り寄せてたって話が残ってます。今でも鹿革のことをサイズによって「小唐」とか「中唐」とか呼ぶんですけど、これは中国から渡ってきた革の方が昔から値打ちがあるとされてきたことの名残なんですね。

3.肉を食べたら皮が残る

そんで、最近では、ニュージーランドから入ってきた皮が一番多く使われています。もちろん、他の国から入ってきた鹿皮もあるねんけどね。何でニュージーランドかって言うと、まあニュージーランドはヨーロッパと違うねんけど、ヨーロッパの人は昔からすごく鹿肉を食べてはったらしい。ドイツとかに行ってステーキを頼んだら、「牛にしますか?鹿にしますか?」って、ざわざ訊かれるって聞いたことがあります。まあ、みなさんは、あんまり鹿肉とか、食べないと思いますけどね。
えー?食べるでー?

鹿肉ジャーキー、めちゃめちゃおいしいでー?
ごめんな。ごめんな。おっちゃん勝手に決めつけすぎやな。きょーびの子は、進んでるんやな。って、進んでるって言うのかな。何しか、日本より普通に鹿肉を食べてきはったわけです。ヨーロッパの人らは。ところがおっちゃんらが子どもの頃に、チェルノブイリ原発の爆発事故というのがあって、ヨーロッパの鹿は全部危なくて食べられへんということになってしまった。それでそのことをきっかけにして、ヨーロッパの人たちに鹿肉を供給するために、世界で初めて鹿の養殖を本格的に始めた国が、ニュージーランドやったんです。
何で食べられへんくなったん?

鹿って、養殖できるのん?
鹿牧場とかって、確かにあんまり聞いたことないですけどね。ニュージーランドには、あるんですって。そこでは肉を取るために鹿を育てて、大きくなったら、殺しちゃう。
えー!?

…その、みなさんが「えー!?」って言った気持ち、とても大切なことだと思います。みなさん、思ってると思います。鹿がかわいそうやないんかと。僕かって、毎日思ってます。この革一枚作るのに、必ず鹿が一匹死んでるんです。殺されてるんです。人間が殺してるんです。それは、いいことなのかと。でもね、みなさん。人間はずっと昔から、他の動物を殺して、その肉を食べて生きてきました。「命をいただく」って言い方をしたりしますけどね。そうしなかったら、自分が生きられなかった。そうしなくても生きていけるようになったら、そうしなくてもいいのかもしれないけど、今はまだそうなっていない。ほとんどの人は今でもやっぱり肉を食べないと生きていけないし、全部の人に肉を食べるのをやめろなんて、誰にも言えない。でも、それやったら、人間の都合で奪った他の動物の命は、せめて絶対無駄にしたらあかんというのが、命に対する礼儀やと思うんです。

肉だけ食べて、皮は要らんからほかすとかいうことをしとったら、鹿に対しても失礼でしょう。そら、鹿はどう思てるか知りませんよ。どんな言い訳をしても、人間だけは許さないとか思ってるかもしれませんよ。でも鹿に許してもらえても、もらえなくても、人間の都合で他の生き物の命を奪ってるからには、人間のやり方でその命を最後まで大切に使わせてもらう他に、お礼のしようもお詫びのしようもないって、僕は思ってるんです。ですからそうやって人間のために死んでいった鹿の皮を、こうやってみんなに使ってもらえる革に仕上げることが、鹿の命を大切にすることにつながるんやないかって思いながら、毎日働いています。この町で鹿革を作ってきた人たちは、みんなそうやったんやないかって思うんです。みなさんのお父さんやお母さんも、そうやったと思います。そうやって他の動物の命と大切な気持ちで向き合ってきたこの町の人たちは、世界で一番やさしい人たちです。僕はそのことを知ってるし、みなさんもそのことを知ってるはずやと思っています。

まあ、こういうことは、考えて答えの出ることやないですよ。でも、そんな風に、考えても答えの出ないことでもやっぱり考えるのが大切なんやっていうことを、みなさんには覚えておいてほしいです。そういうことをずっと考え続けることのできる力を持った人を、やさしい人って言うんやないかって僕は思います。他の生き物を殺しても何も考えへんようなやつがおったら、そんなやつが一番こわいと思いますよね。せめてそのことについては、考え続けてほしいですよね。だんだんおっちゃんも、自分が何言うてるのかわからなくなってきました。皮の話に戻りましょうか。

4.皮をなめすということ

何しか、肉を食べたら皮が残るんです。ヨーロッパの人はめちゃめちゃ鹿肉を食べるから、ニュージーランドにはめちゃめちゃ鹿皮が残ることになってしまう。そんで、日本では鹿肉はあんまり食べへんけど、鹿革はめちゃめちゃ使うんです。剣道とか弓道とか、日本の武道には大体鹿革を使ってますからね。だからニュージーランドの鹿牧場の人たちは、鹿肉はヨーロッパに売って、鹿皮は日本に売って、そんな風にして商売してはるんです。
ニュージーランドまで皮を買いに行くのん?
おっちゃんはまだ、行ったことないねんけどね。僕のお父さんぐらいの世代で、革の商売をしてきはった人たちは、大体世界中を飛び回ってはりますね。いい皮を探してね。ニュージーランドの鹿はアカシカという種類で、ニホンジカより皮もだいぶ分厚くて、強いんです。せやから、いい武道具の材料になる。ただ、皮っちゅーものは、放っといたらすぐに腐ってしまうんです。みなさん、その辺の道で、ネコが車に轢かれて死んでるのを見たことがないですか。
あるー!

こないだはタヌキが死んでたー!

私、ハクビシンが死んでるのん見たことあるー!
…こんな話でえらい盛り上がり方するんやね。あれって、三日ほど経ったら、いつの間にか消えてなくなっちゃうやろ。
なくなるー!

どこ行ったんやろて思てたー!
あれはね。死んだ生き物ちゅーのは、ものすごい勢いで腐ってしまうからなんです。腐るということは、他の生き物に食べられるということなんです。大きいところは野犬やカラスに食べられてしまうわけやけど、小さいところは小さい虫に食べられて、もっと細かいところはもっと小さな微生物に食べられて、最後にはウンコしか残らないというのが、ものが腐るということなんです。ゾンビの腕って、触ったらボロッと崩れるやろ。あれは、もともと腕やったところが全部微生物に食べられて、腕が丸ごと微生物のウンコと入れ替わってしまってるから、ボロッと崩れてしまうわけなんです。
うげー!
鹿皮もそれと同んなじです。この皮も、できるだけ腐らないように塩漬けにされて、冷蔵庫の中に入れられてニュージーランドから送られてきたわけやけど、あったかいところに放っといたら、すぐにボロボロに腐ってしまいます。微生物のウンコのカタマリになってしまいます。ところがこちらの白い革。なめした革ですね。革になった皮は、何十年たっても腐りません。うちの工場の倉庫には、50年ぐらい前のおじいさんの時代になめした革が、まだいくらでも残っています。奈良の正倉院には、1300年も前の革が、今でも腐らずに保存されています。腐るのが当たり前の物質を、半永久的に腐らない物質に変える。それが、なめすということです。魔法やと思いませんか?錬金術やと思いませんか?こんな皮がどうしてこんな革に生まれ変わるのか、知りたいと思いませんか?
知りたいー!

教えてー!
それでは今からみなさんに、どうやって皮から革を作るのかを、見ていってもらいましょう。
歓声

5.おろし(フレッシング)

はーい、工場の中にやってきました。あっちの奥の方で、大きな壺みたいなやつがグルグル回ってるよね。あれはコンクリートミキサー車の後ろの部分だけを切り取って持ってきたやつで、あの中には水と原皮が入っています。ニュージーランドから送られてきた皮は塩漬けになってて、板みたいになってるから、あそこでグルグル回して戻してやるんです。回転を逆にしたら、あの口のところから皮がドボドボっと出てきます。やってみましょうか?
うおー!すげー!
大迫力でしょ。そんでもって、これが水で戻した原皮。水を吸ってるから、めちゃめちゃ重たいです。大きいやつは1枚で20kgぐらいあります。鹿は柴犬とかと一緒で、夏と冬で毛が生え変わるんですけど、これは夏毛の鹿です。背中からおなかにかけて、白い点々の模様があるでしょ。夏毛の鹿をなめした方が、分厚い革がとれるんです。冬毛の鹿の皮は、薄くなる。その代わり、冬毛の鹿で作った革の方が、触った感じは柔らかいんですけどね。
えー?なんでー?
なんでなんやろね。世の中には神さんにしか分からへんようなことが、まだまだいっぱいあるんですわ。まあ、神さんなんて、ほんまにいてはるのかどうかも、おっちゃんは知らんねやけどね。さて、こっちの毛が生えてる方が表なんですけど、裏を見てみてください。鹿にこんなこと言うたら悪いけど、きちゃないよね。皮を剥がした時にくっついてきた肉や脂が、いっぱい残ってるからです。きれいな革を作ろうと思ったら、まずこれをきれいに掃除しやなあかん。この作業を、フレッシングと言います。普段の僕らは、日本語を使って「皮をオロす」って言うてますけどね。「フレッシュ」というのは、肉のことです。それを掃除するから、「フレッシング」。
えー?「新鮮な」ってことと違うのん?
それはFRESHやね。FLESHと書いたら、「肉」という意味になります。ほんまは発音も違うねんけど、おっちゃんもうまいこと言われへん。
肉は「ミート」やで
よぉ知ってるなあ。おっちゃんらの頃は小学校では英語教わってなかったから、そんなんよぉ言わんかったわ。でも「ミート」は「食べ物になった状態の肉」のことで、「フレッシュ」は「動物の体にくっついた状態の肉」のことを言うんやて。それを削って剥がしてしまうから、「フレッシング」。そんで、フレッシングの作業には、昔はあの壁にかかってる、両方に柄のついた刀を使ってたんです。「銓刀(せんとう)」とか「フレッシングナイフ」とか言うんですけどね。でも今は、全部機械を使ってオロしています。その作業を、今からみなさんにだけ見せてあげましょう。ホームページを見ている人たちには、見せてあげませんよ。企業秘密ですからね。
すげー!すげー!すげー!
スゴいでしょ。そんで、他の動物の皮をオロす時には、フレッシングは裏側だけで終わりなんです。牛皮でも豚皮でも、表側は薬を使って毛を抜くだけで、ほとんどイラわないって聞いています。ところが奈良の鹿革づくりでは、皮の表側の毛が生えてる部分も、この機械で根元からバリバリバリっと剥がしちゃうんです。やってみましょう。
ばりばりばりっ。
すげー!むっちゃすげー!
こんなド迫力なオロし方をしてるところは、奈良だけなんですよ。動物の毛が生えてる部分の皮は薄い層になってて、これを業界の言葉で「ギン」と呼びます。学術的には「乳頭層」って言うんですけどね。哺乳類の皮は、みんな表皮の下にこのギンがくっついてるんです。ところが鹿の皮は、他の動物と比べて特別にギンが剥がれやすい作りになっています。牛の皮や豚の皮は、みんなギンをくっつけたままなめしてしまうんですが、同じやり方でなめしても、鹿の場合はなかなかキレイな革にならない。だったら最初からギンを全部剥がして、それからなめした方がキレイな革ができるんやないかって、奈良の昔の人たちは考えたんです。そしてそのためにいろんなやり方を考えて、専門の機械まで作ってしまった。そうやって昔の人がいろいろ考えてくれたおかげで、奈良の鹿革は世界のどこに行っても見つけることができないぐらい、なめらかで柔らかくてキレイな革になってるって、みんなに言ってもらえるようになってるんです。
すげー!奈良すげー!
そうです。奈良はスゴいんです。けどみなさん、思いあがっちゃあいけないよ。三重も和歌山も大阪も、みんなそれぞれスゴいんです。だから自分のスゴさを知っているってことは大切なことですが、そのことは大事に自分の胸の中にだけ、しまっておくことにしましょう。もちろん、おっちゃんかて、東京や姫路で豚革とか牛革とか作ってる人たちから、「やっぱり奈良の鹿革はスゴいですねー」って言ってもらえたら、うれしいですよ。でも、自分の方から「おれってスゴいやろー?」ばっかり言ってたら、誰にも「スゴいね」って、言ってもらえなくなっちゃいますからね。

6.「にべ」の話

はい、こうやって裏と表をオロして、真っ白な皮ができあがりました。オロす前は20kgぐらいあった皮も、こうなってしまったら2kgぐらいです。なめして乾かしたら、もっと軽くなります。でもみなさん、革はこれで完成したわけじゃないんですよ。
この皮をそのまま放っといて乾かしたら、こんな風に半透明のカチカチの皮になってしまいます。さっき見せたふわふわの革と、全然違うでしょ。
全然違うー

刺さりそー
せやねん。端っこで目ぇとか突いたりせえへんか、ちょっと持ってるだけでも怖いねんけどね。でも、こんな風にカチカチになった皮でも、ちゃんとなめしたらあんな風にふわふわの皮になるねんから、なめしっていうのは不思議なもんですねえ。なめす前の皮は「生皮(なまかわ)」って言いますが、このカチカチの皮のことも生皮って呼んでます。ときどき膠(にかわ)を作りたいってお客さんがいてはるから、こういう生皮も、ちょいちょい作ってるんです。
にかわって何ー?

みなさんは膠って、あんまり聞いたことないのかな。動物の皮とかスジとかを長い時間かけてグツグツ炊いたら、ものすごく強力な接着剤ができるんです。コラーゲンの力を使った、天然素材の瞬間接着剤やね。おっちゃんらが子どもの頃は、奈良のあちこちで膠を炊いてる匂いがしてました。けっこう、強烈な匂いがするんです。遠くからでもすぐわかる。小さい時は、作ってはる人たちの気持ちも知らんとイヤがったりしてたけど、今になって思い出してみたら、ほんまに懐かしい匂いやったなって思いますね。

皮をオロしたらゴミが出ますけど、このゴミのことを「にべ」と言います。このニベも、膠の原料になるんですよ。何か、好きな人に勇気出して話しかけたのに塩対応されてしまったような感じを「にべもない」って言ったりしますけど、ニベっていうのはもともと魚の名前でね。この魚の内臓も、膠の原料になるんです。そこから、膠の原料になりそうなこういう生ゴミ系は全部ニベって呼ぶようになった。「にべもない」っていうのはせやから、「くっついてきてほしいのに、くっついてきてくれるようにできる材料さえない」っていう意味なんです。

もっとも、毛ぇは炊いても膠にはならへんねんけどね。昔はこの工場では、おじいさんの頃までは、鹿の毛は全部包丁で刈り取ってからオロしてたんです。刈り取った毛は、筆や刷毛の材料として大事に使ってました。鹿の皮には、そんな風に、ほんまやったら捨てるところなんてひとつもないんです。でも今では人手が少なくなってしまったからねえ。毛ぇまで刈ってたら全然仕事が回らへんから、もったいないけど、毛もニベと一緒に捨ててしまってます。幸い、この菟田野の町には皮革関係の工場がたくさん集まってるから、専門のニベ処理施設があるんです。ですからこのゴミで環境を汚してしまうようなことは、しなくてすんでいます。でも、ゴミとして捨ててしまうのは、やっぱり本当は、したくないなあ。毛もニベも、何とかしてもう一度使い道を見つけていけるようにしたいというのが、おっちゃんの気持ちです。そのために、いろいろがんばって行かなあかんなって思っています。

7.なめしの秘密

それでは、いよいよなめしを始めましょう。オロした皮の重さを量って、この太鼓に放り込んでいきます。量った重さの分だけ、いろんな薬を入れて、ぐるぐる回します。それで明日のお昼ぐらいになったら、太鼓に入れた皮は全部、革に変わっています。それでなめしはおしまいです。
えー?そんだけー?
ごめんなさいね。そんだけなんです。もちろん、薬の量とか、それがよく効くように酸性とアルカリ性の加減を調整するとか、いろいろ人間が工夫しやんなんことは、ありますよ。薬を入れる順番とかもね。でも、いっぺん太鼓のフタを閉めたら、次に開けてみるまでは、人間にできることはもう何もないんです。それでほんまのこと言うたら、この太鼓の中でどんなことが起こってるかは、おっちゃんも一回も見たことがないんです。だって、フタをしなかったら、太鼓は回せないでしょ。音が変わってきたなとか、匂いが変わってきたなとかいうことで、太鼓の中の皮の様子は、想像するしかありません。中では何かが、起こってるんですけどね。
ふしぎー

なんか、こわいー

不思議ですよね。言うたらこの太鼓の中では、神さんが仕事してくれてるんです。人間ができることなんて、いつもちょっとだけのことで、ほとんどの仕事は、全部神さんがやってくれてるんやって、思うしかないです。農家の人がやってはることも、畑に種まいたり、田んぼに苗植えたりしてるだけでしょ。それで作物を大きく育ててくれたり、花を咲かせたり実をつけさせたりしてくれてるのは、全部神さんがやってくれてる仕事なんです。何べんも言いますけど、神さんなんてほんまにいてはるのかどうか、おっちゃんは知りませんよ。でも、おっちゃんのおばあちゃんなんかは、いつもそういうことを言うてはった人でしたね。

ただ、神さんちゅーのは、おったとしても、自分からは人間に何も教えてくれないわけです。神さんに働いてもらおうと思ったら、どうやったら神さんは人間のために働いてくれるのか、そのやり方を自分で考えて、見つけ出すしかない。せやから、人間はどんな風にして動物の皮をなめすやり方を見つけてこれたのかっていう、そういう話なら、おっちゃんにもできると思います。みなさん、遠い遠い昔を想像してみてください。その頃の人間は、まだ服を着て暮らすことも知らなかったんです。そうやって裸で暮らしてた人間が、一番最初に見つけた服というのは、他の動物の皮やったんです。

ええー!?

そーなん?
そうなんですよ。みなさん、自分が着ている服をよく見てください。細い糸が複雑に組み合わさってて、こんなん昔の人には、絶対作られへんでしょ。作れたとしても、ものすごく時間がかかる。でも、他の動物の皮やったら、殺して、はがして、かぶるだけなんです。だから、皮の服は布の服よりずっと昔からあったに違いないって、おっちゃんは思ってますね。問題はどうして、他の動物の皮をはがしてそれを自分でかぶってみようなんていう、突飛なことを人間は思いついたのかってことなんです。寒かったからとか、恥ずかしかったからとか、そういう理由ではなかったはずやと思います。そういう感覚は、人間が服を着るようになった後から生まれてきたものです。おっちゃんは、思うねんけど、たぶん最初に動物の皮をかぶってみた人は、それを頭からかぶって自分も動物になったつもりで「ウオーッ!」て言うてみたかったんやないかって思います。それが人間が服を着て生きるようになった歴史の、始まりやったんです。
何それー

あはははは
いや、間違いないはずやと、おっちゃんは思いますよ。だってみなさん、想像してみてください。動物の皮を頭からかぶったら、誰かって、「ウオーッ!」て言うてみたくなるでしょ。それでめちゃめちゃテンション上がるでしょ。こんな面白い遊びがあるなんて、知らなかった!って、初めて動物の皮をかぶった人は絶対思ったはずなんです。それで、原始時代の人たちの間では、動物の皮をかぶって「ウオーッ!」とか「キャイーン!」とか叫んで回る遊びが、爆発的に流行り始めます。きっと流行ったはずなんです。ところが。みなさんもさっき見たでしょ。皮っていうのは濡れてる間はかぶって遊ぶこともできるけど、時間が経って乾いたら、カチカチになってしまいます。あんなカチカチの皮になったら、もうかぶって遊べません。原始時代の人は、くやしかったと思います。何とかして、固くなった皮をもう一度柔らかくしたいと思ったと思います。他の動物の皮なんて、そう簡単に手に入るもんやないわけですからね。それで原始時代の人がどうしたかっていうと、とりあえずその皮を、噛んでみたらしいです。
ええー!?

噛むのん?

何かイヤー
そうです。固くなった皮をクチャクチャクチャクチャ、しがむんです。そうすると、固くなった皮も、不思議と柔らかくなるんです。今では科学が発達してるから、その理由もわかってます。まず、噛んで刺激を与えることで、固くなった皮の繊維が、ほぐされます。そしてもうひとつ、人間のツバには、皮を柔らかくする酵素が含まれてるんです。そんな風にして、固くなった皮は噛み続けたら柔らかくなるっていうのが、人間が一番最初に発見した「皮をなめす方法」やったわけですね。その根本的なやり方っていうのは、今でも変わってないんですよ。ああやって皮を太鼓に入れてぐるぐる回すのは、一枚一枚人間が自分の口で皮を噛む代わりに、何回も太鼓の壁に皮を叩きつけることで、繊維をほぐして柔らかくしてるわけですね。それと一緒にいろんな薬を入れるのも、基本的にはあそこにツバをいっぱい入れて、ぐちゃぐちゃにしてるのと同んなじことなんです。
きちゃなー!!

やめてー!!

ウオーッ!

キャイーン!

あはははは
人間はみんな、きちゃないところから生まれてきたんですよ。それが一歩一歩成長することで、きれいに生きていくための方法を見つけていくことができるんです。原始時代の人たちにとっては、ツバなめしのぐちゃぐちゃの革でも、それまでに見たことがなかったぐらい、きれいな革に見えていたはずやと思います。今のみなさんがきれいなことやと思ってることでも、100年とか200年とか経ったら、きちゃないことに変わってるかもしれないんですからね。昔の人を笑ったりしたら、あきません。もちろん今ではうちの工場でも、皮をなめすのにツバなんか使っていませんから、そこは、安心してくださいね。

8.鹿革なめしの歴史

何しろそうやって、人間がツバなめしの技術を手に入れたことで、動物の革は初めて「着ることのできるもの」に変わりました。それまでの皮は、固くなったら捨てるしかない、使い捨てのオモチャみたいなもんやったはずやったんです。それをずっと着ていられるようになったら、「あったかいやん」とか、「コケてもケガせえへんやん」とか、革っちゅーのはいろいろ便利なもんやねんなってことが、だんだん分かってくる。そうやって人間は、服を着て生きることを覚えていったんです。

でもね。ツバみたいに皮をなめす力を持った薬品のことを「なめし剤」と言うんですけど、ツバというなめし剤には「皮を柔らかくする力」はあっても、「皮を腐らせないようにする力」は、ないんです。腐らない革を作ろうと思ったら、難しい言葉を使うと、革を構成しているタンパク質の組成自体を、組み替えられる力を持ったなめし剤を見つけやなあかん。でもそんな薬は、大昔にはないわけですね。ですから、せっかく一生懸命噛んで柔らかくした革も、時間が経ったら虫に食われてボロボロになってしまう。それに、実際に噛んでなめした革っていうのを僕はまだ見たことないんですけど、そんなん絶対、紙ヤスリみたいな革ですよね。着て動いたら体がスリ傷だらけになってしまうと思います。だから人間は、もっと柔らかい革を、もっと長持ちする革をどうやったら作れるようになるのかということを、必死で考え始めたんでしょうね。油をスリ込んでみたり、煙でいぶしてみたり。技術っていうのは、何でもそういう風に発展していくもんなんです。ひとつ新しいことができるようになると、人間の中からは次々に新しい欲望が生まれてくるようになってるものなんですね。

それで、今から1300年前の奈良時代の日本では、もう今と同んなじぐらいに、高品質の鹿革が作られるようになってました。その頃の鹿革は、一体どういうやり方でなめしてたと思いますか?みなさん。言うたらビックリすると思うけど、鹿の脳みそを鹿の生皮とぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたら、ふわふわの鹿革ができあがるってことを、発見した人がどっかにおったんです。
ええー?どーゆーことー?

もう、わけわからへん!

わけわからへんぐらい、スゴい話やと思うでしょ。鹿の皮をなめすのに一番よくできたなめし剤は、鹿自身の脳みそやったんです。鹿1匹分の脳みそは、ちょうど1枚分の鹿皮をなめすのにピッタリの分量になってるって話ですよ。こんだけ不思議な話を聞いてしまうと、おっちゃんみたいな人間でも、神さんってほんまにいてはるのかもしれへんて気持ちになってくることが、時々あります。同時に、神さんちゅーのは何考えてはんねやろって気持ちにも、なってくるねんけどね。何を考えて鹿革なめしの秘密を鹿自身の体の中に仕込んどくようなことを、してはったんやろかと。それを誰かが見つけ出すのを、神さんはずっと待ってはったんやろか、と。ことによると僕ら人間の体の中にも、まだ誰も気づいてないとんでもない秘密が仕込まれてるんやないかと…あんまり考えたら怖くなってくるから、これぐらいでやめときますけどね。何しか人間がほんまに困った時には、必ずそれを何とかしてくれる答えが、自然の中にちゃんと準備されてるもんなんですね。つくづく、不思議な話やと思います。

さっき言った正倉院の鹿革も、室町時代の鹿革も、それ以降の時代に日本で作られた鹿革は、ほとんどがこの「脳漿(のうしょう)なめし」の技術を使って作られたものです。後の時代になると、もっと大きな動物の脳、牛とか馬とかの脳みそが使われてたらしいんですけどね。それも、1年以上かけてじっくり腐らせた脳みそを使うことが、大事やったらしい。よく腐らせれば腐らせるほど、高級な鹿革ができたって話です。そういうことって、実験して確かめてみないと絶対にわからへんから、最初にそういうことをやってみた人たちのことは、ひたすら尊敬しますね。

僕自身は、脳漿なめしで作られた革の実物を見たことは、まだないんです。けれども僕らのお父さんが子どもやった頃の時代までは、ここ菟田野でも、脳漿なめしで鹿革を作ってたって話を聞いています。脳でなめした鹿革はほんまに柔らかくて、何とも言えない手触りやったって話です。でも、そらそうやと思うけど、腐らせた脳みそは、ものすごい匂いがしてたらしいですね。せやから、昔は鹿革ちゅーのはクサいもんやってイメージが、みんなの中にこびりついてたらしいです。それが当たり前やった時代には、「この匂いがええねん」て人も、「クサい」って言う人と同んなじぐらいいてたんやないかって、僕は思ってるんですけどね。それで僕らのお父さんがオトナになる頃ぐらいまでには、いろいろ研究も進んで、匂いがキツくない化学薬品を使っても、脳漿なめしと同んなじような品質の鹿革を作ることができるような技術が、開発されてきました。今ここ丸新産業では、そうやっていろんな人たちが築きあげてきてくれた技術を受け継いで、21世紀の鹿革を作っています。ものすごく、長い話をしてしまいましたね。みなさん、皮をなめすってことがどういうことか、わかってもらえましたでしょうか。
わかったー!

わかりましたー!

9.質問コーナー

それではみなさん、鹿革なめしの仕事について、他に知りたいことや、わからないことがあったら、何でも聞いてください。おっちゃんは、知らないこと以外は、何でも知ってるんですよ。
なめした革は、その後、どうするんですか?
おっと、言うてなかったね。太鼓の中でなめしあがった革は、薬品まみれでグチョグチョになってるんです。それに水洗いをかけて、絞って、干します。干した革は最初の段階ではまだ硬いので、なめし太鼓と別の太鼓に入れて、時間をかけて空打ちします。その後、ロールセッターという機械にかけて、ぺちゃんこに引き伸ばしてやったら、これで白革の完成です。そこからさらに加工して、紺革や茶革を作って、お客さんのところに出荷しています。
あの太鼓は、誰が作ったんですか?
大工さんが作ったんやで(笑)。でも、ただの大工さんやなくてね。むかし最初に菟田野になめしの工場ができた時には、桜井の三輪で酒樽を作ってる大工さんが、その技術を応用して、あの太鼓を作ってくれたんやって聞いています。今では、町の大工さんにお願いしてるんやけどね。他にも電気のこととか機械のこととか、町中でいろんな仕事をしているみなさんに力を貸してもらって、この工場は動いています。でも、最近はこういう太鼓を作れる大工さんが本当に少なくなってしまってね。大事に使っていかなあかんなって思ってます。
どの仕事が一番大変ですか?
どの仕事も大変ですよ(笑)。でも、大変な仕事の方が、やりがいがあるよね。さっき見てもらったフレッシングとかは、疲れるけど、やってて一番楽しいもん。「おれは鹿革職人や!」って感じがしてね。気持ちがいいねん。基本的に、革の手触りが好きやから、革を触る仕事をしている分には、全然しんどいって思わないんです。しんどいのは、どっちかって言ったら、鹿革と関係ない仕事やね。せやからおっちゃんは、お金の計算をしやんなんのとかが、一番苦手かな。
辻本さんの夢は何ですか?
夢!このおっちゃんに、夢を聞くか。おっちゃんはねー。正直言うて、この会社を大きくしたいとかそういうことは、全然考えてないんです。だって、人間のために殺される動物が増えるっていうことは、全然いいことじゃないでしょ。でも、最初に言うたみたいに、人間が肉を食べて生きている限り、捨てられる皮は、なくならないんです。それをなめして革にする仕事をする人間が、絶対に必要なんです。だからおっちゃんは、自分のやってる仕事は世の中のためにも動物の命のためにも、本当に大切な仕事なんやって思ってます。そう思える仕事がやれるってことは、とっても幸せなことなんです。その幸せを、守り抜きたいと思ってますね。だから革の仕事をする人がどんなに少なくなっても、この工場は絶対つぶさない。それに、ありがたいことに、うちの会社には、丸新さんの革しか使いたくないって言ってくれるような剣道や弓道のお客さんが、日本中にいてくれてます。その人たちの信頼を絶対に裏切りたくないっていうことも、おっちゃんのエネルギーです。あとは、皮革産業の町として栄えてきたこの菟田野を、いつまでも子どもの笑い声の絶えない楽しい町にしていきたいっていうことですね。みなさんが成人式を迎える頃には、おっちゃんらはもう60過ぎになってると思います。皮をオロすのに重たい皮を持ちあげるのも、そろそろしんどくなってきてるはずです。そんな時に、オトナになったみなさんがこの工場に働きに来てくれたら、こんなうれしいことはないと思いますね。みなさんの中に、大きくなったら、おっちゃんと一緒に鹿革の仕事をしてみたいって思ってくれる人、いてますか?
はい!

はい!

面白そう!
ほんまやね?(笑)。おっちゃんは、信じたからね。はかない夢を見さすなよ。このおっちゃんに。というわけで工場の説明はこれで終わりです。またいつでも遊びに来てくださいね。
せーの、鹿のおっちゃんありがとー!
はい、ありがとう。気をつけて帰ってください。
トップに戻る